神隠しと聞いて何を思い浮かべるでしょうか?ある日、人間が忽然と消えてしまう光景。神社にて子供が悪戯をして神の逆鱗に触れ、さらわれてしまう光景。オカルト的な要素も相まって、恐ろしいイメージを持つ人が大半かと思います。

また、ジブリ映画で大ヒットとなり、日本国内の映画興業成績歴代1位を記録し、地上波で放送も高視聴率である「千と千尋の神隠し」を思い浮かべる人も多いのではないかと思います。この映画は、家族三人で八百万の神々の住む世界に迷い込み、勝手に食べ物を口にしたことで、湯屋の経営者の逆鱗に触れてしまったことから物語が始まります。元の世界へ復帰後、乗っていた車には落ち葉や埃がかぶり、神隠しに遭遇していた時間背景も見て取れます。

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「神隠し」とは、いわば人々が悪さをしたときに降りかかる天罰のようにも感じますが、以上のような一般に知られている「神隠し」とは異なる捉え方があることを知りました。

なお、「神隠し」の「神」とは異界に住まうもの全てを指し、「天狗」「鬼」「カッパ」「妖怪」なども「神」に当たり、天狗・鬼にさらわれるという話も神隠しに該当すると考えられます。例えば「〇太郎が裏山で妖怪にさらわれた!」というのも神隠しの一種でしょう。

ところで、実際に神隠しにあった(連れて行かれた)人達はどうなったのでしょうか。ほとんどが消息不明であるものの、中には生還して戻った人もいると言います。戻った人は衣類もボロボロで、誘拐された時の記憶が無かったり、話すことをためらったりするそうです。神隠しに遭遇したダメージを考慮して、周囲の人々も問いただすことなく、無事で良かったということで結末を迎えていると思います。神隠しと言うだけで、何事もなかったかのように収まってしまうのです。現代であれば、相当な事件として世間を騒がせるはずなのに、なぜ何事もなく結末をむかえるのでしょうか。

結論として、被害者自身に起因した事件、ムラに存在する習わしなどを、神隠しで処理して(覆い隠して)しまっているからです。例えば、自らの意思による失踪や自殺未遂、ムラの食い扶持を減らすために下の子達を山に連れて行く風習など、世間的に噂話が広まってしまうと良くない事象があると思います。

それらの事象を「神隠しによるもの」と一言で、村人達も「神隠しにあったのか。それは災難だった」と理解を示して、それ以上追求しません。ある意味で、昔の人は「神隠し」というヴェールで当事者を保護していたのかもしれません。神隠し、どこかオカルトめいた話とは一線を画し、人間の優しさの象徴にもなり得るのかもしれません。

さて、現代はというと、都市部では他人との接点も少なくなり、隣人がどうなっているのかさえ分からない。ある意味で他人に干渉しなくなった社会とは言えますが、その反面で、SNSによりどこの誰とも知れない人と接点を持ち、はたまた中傷の対象となることもあります。世間的な噂話に対しても、「神隠し」のヴェールで覆い隠すような、優しい心を持てれば良いのですが。