私は国内各地に旅行へ出かけましたが、印象に残っている場所の一つが愛媛県新居浜市です。

友人と愛媛旅行を計画した際、有名どころの道後温泉、今治に行くことは決まっていましたが、あともう1カ所、どこにするか悩んでいました。そこでインターネット上にて「東洋のマチュピチュ」という見出しを見つけました。「東洋のマチュピチュ」とは「別子銅山」の遺構が「南米のマチュピチュ」の雰囲気に似ていることからそのように呼ばれているということです。以前から南米のマチュピチュに行きたかったこともあり、別子銅山のある新居浜行きが決まりました。

なお、別子銅山は元禄4年の開坑時から「住友家」が一貫して経営に当たり、銅鉱石を製錬する際の亜硫酸ガスの問題が発生したため、その解決策として鉱石から硫酸を取り込んで肥料製造を行う術を開発し、後の「住友化学」につながります。別子銅山の関連事業から「住友グループ」発展の礎が築かれたという歴史は、意外と知らない人も多いのではないかと思います。

始めに「マイントピア別子」(端出場地区)という観光施設を訪ねました。1930年~1973年(閉山)まで別子銅山の採鉱本部として使用され、平成3年から観光施設としてオープンしました。施設内の要所に産業遺産が点在し、見所は満載でした。トロッコ電車で坑道の入口駅まで向かいます。まるで迷路のような坑道内に、鉱山観光と題して、江戸時代~近代ゾーンまでの鉱山の様子を展示し、削岩機体験などのコーナーも交え、銅山に対する理解が深まりました。

そして、いよいよマチュピチュ遺構のある東平(とうなる)地区に向かいました。マイントピアの観光施設からだと距離もあり、山道の中で道幅が大変狭いところを走り、対向車とのすれ違いの困難な箇所が多くあるということで、定期観光バスを利用しました。実際に現地の道に慣れ、狭い箇所を把握していないと運転は難しく、すれ違えない車がバックするケースもありました。バスで向かって良かったと思います。

バスには現地ガイドさんも添乗しており、施設の案内を受けながら、歴史などの話を聞くことができました。東平地区は、標高が750mもある山中であり、1916年から1930までの間、別子銅山の採鉱本部が置かれ、社宅・小学校・劇場・接待館が建てられるなど、1968年に休止するまで町として大変賑わっていたそうです。まさに鉱山と共に生活した人達の痕跡を感じられました。近代産業の粋が集められた別子は、トロッコ車のほかにも、「住友別子鉱山鉄道」という鉄道も走っており、鉱石を運ぶだけではなく、一般人も利用できたということです。

標高と山中の高低差を生かしてレンガで作られた貯鉱庫・停車場跡などは、本当にマチュピチュの雰囲気を感じられました。また、宮崎駿アニメ「天空の城ラピュタ」、横須賀にある「猿島」の雰囲気にも似ていると、個人的には感じました。

最後に、別子銅山を離れ、新居浜港方面に移動しました。住友化学㈱愛媛工場内の歴史資料館にて、別子銅山と住友の歴史について知ることができました。

歴史資料館

住友化学㈱の前身である㈱住友肥料製造所は、上記でも書いたとおり、銅鉱石精錬時に発生する亜硫酸ガス問題を解決しようと、当初は住友本社直営により鉱石から回収した硫酸から肥料製造を開始した後、1925年に住友本社直営から独立しました。その後1934年に住友化学工業㈱に名称変更し、硫安肥料、その原料であるアンモニア製造に進出しました。別子銅山から採掘した銅鉱石の処理の過程で発生した硫酸を使用することにより、亜硫酸ガス処理問題の解決にもつながりました。

なお、アンモニアは各種化学製品の原料としても用いられ、住友化学工業㈱は総合化学会社に舵を切り、現在の住友化学㈱につながっていったということです。歴史資料館では本当に貴重なことを知ることができました。 新居浜市を訪ね、景観を堪能できたことはもちろん、歴史を知ることもできました。旅程に新居浜を入れたことは本当に良かったと思っています。

【広告】