私の実家の菩提寺は、自宅に程近く、徒歩で訪れられる場所にあります。墓地もお寺の敷地内にあるという、いわゆる江戸時代の寺檀制度により普及した形態なのだと思います。実家近隣でも同様の傾向にあり、旧部落(農村)単位あたり1軒(財力のある村では複数)のお寺が配置されています。

現在でも、檀家として地域のお寺を支えるということは残り、檀家の代表(総代)にもなると、盆・春秋彼岸・正月の墓参り、大施餓鬼会という主要な行事以外の仏教行事にも参加し、経済的な部分での支援も大きくなるようです。私の実家を含む一般の檀家は、墓参り程度に留まりますが。

私が子供の頃は、お盆に祖父が伝統的な真菰(まこも)縄を編み、ほおずき・旬の野菜をお墓や仏壇に飾り付けしましたが、今やスーパーで体裁の良い飾りが販売されていますので、それらをこぢんまりと飾り付けをするに留まります。それでも、伝統的な墓参りや行事を欠いていないだけでも、代々のお墓は守られていると感じます。

ところで、以上の話が通用するのは、都市近郊に限られるのではないかと思います。過疎地域では、お寺を支える檀家の高齢化が進み、都市部への人口流出と減少、それに伴う離檀もあり、廃寺となる状況が相次いでいるということです。また、都市部へ転出した人は、故郷のお寺に足を運ぶ機会を失い、最終的に改葬や墓じまいを選択することも多いのではないでしょうか。

また、承継者がいない場合に、お寺の永代供養を売りにした霊園や納骨堂は当然の選択肢になりますし、檀家という立ち位置でのお寺との煩わしい(お布施も含めた)関係がないということもあるでしょう。さらには、海への散骨、樹木葬、宇宙葬等々、これまでの伝統と異なる供養法も出てきています。

このような状況下、現世代が次世代に対し、よほど重要性を説き伏せていかないと、次世代が檀家という立ち位置でお寺との関係を維持し、代々のお墓を継承していくことは、困難になるかもしれません。お寺と檀家が知恵を絞り、どのようにしたら維持できるか、または新しい形として次世代が承継できるか、分岐点が来ているのだと思います。

さて、私個人としては、先祖を供養するという考えは必要なことだと考えます。現在、私が存在するのは、紆余曲折はあろうとも、両親、またその両親、さらにその先の先祖からの営みが続いているからであり、感謝が必要なのだろうと思います。私は、代々を供養することによって、感謝を込めているつもりです。

宗教観や価値観、経済的側面によって様々な考え方があるとは思いますが、私はお墓(家名と戒名)とお骨、仏壇、お経(僧侶でなくともできますが、一般人には経典や意味も分からないため、僧侶ということになるのでしょう)が揃って、供養しているのだと感じます。あくまでも個人的な感じ方で、決めつけることはできないことです。

日本人には馴染みのある墓参りですが、こうしてみると様々な側面があるようです。

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